春、来たる

以前にちょこっとブログに書いた息子の高校受験、ようやく終了しました。
中高一貫校に通う中3の息子が、高校を外部受験することが決まったのが3年生の秋。情報もなければ塾にも行っていない。何もない状態からスタートしました。学校の授業は先取りで高校分野をやっているので、とにかく中学の内容に戻って一からやり直さなければならない。その時点での実力がどれほどなのかもわからない。気の遠くなるような作業の始まりでした。
元々私たち夫婦に出来ることなどほとんどないので、息子の孤軍奮闘を見守るだけです。
秋からの数ヶ月は「アッ」という間で、気がつけば1月の岡山のとある山奥の学校の入試日になっていました。こちらの学校は、中学受験のときにもお世話になったことがあるため、親近感のようなものがあります。また、こちらの姉妹校に恋焦がれた中学受験でもあったのです。これは書くと長すぎるので、またの機会に・・
岡山の本校だけではなく、西宮に入試会場が設けられていて、これは大変ありがたいことでした。無事に入試を終え、息子と二人帰路につきました。息子は、「手応え」というワードを嫌がります。模試でも定期考査でも、毎回出来栄えは教えてくれません。できたのか、できなかったのか・・モヤモヤしながら2日後の結果を待つしかありません。
結果は、ありがたいことに合格をいただきました。
結果発表はサイトへアクセスするだけですが、結果発表の画面へ切り替わる最後のボタンを押す瞬間の緊張は何度味わっても慣れません。
息子は一見クールでした。わかっていたと言わんばかりの反応ですが、かすかに震える声に、これまでの苦労を感じました。
それから本命入試の2月10日までは、過去問解きまくり月間となりました。過去問を印刷したB4用紙が山のように積み上がり、一つ一つを怒涛の勢いでこなしていく姿は、なかなか勇ましく狂気じみていました。3年前の文句垂れの息子はそこにはいませんでした。いつの間にか、目に見えない成長を遂げていたのだと思います。感慨深い気持ちに浸っているのは親だけで、息子は必死で目の前にある壁をよじ登っています。
2月10日本命入試。私は息子のこれまでの姿、過去問の結果から勝ちを確信していました。
入試を終えた息子は相変わらず手応えなど教えてもくれません。またまた、モヤモヤ。結果は3日後。
ついに発表のとき。家族全員でパソコンの前に座り結果を見守りました。
結果は、第1、第2希望のコースには届かず、第3希望のコースへ回し合格となりました。
現実は、なかなか甘くない。あんなに毎日を勉強に費やしたのに、まだ足りないのか。いろんな思いが錯綜します。息子はといえば、落胆を見せないようにしていますが、とても悔しそう。一言、やってもた。と呟きました。
さて、普通は高校受験はここで終了のはずです。(息子は公立高校は受験しないため)
ですが、本当の恐怖はここから。息子の合格した学校は、回し合格者を対象に、上の類コースに上がれるチャンスを与えるチャレンジ受験なるものを用意しています。まだ残りのイスを奪い合う戦いが待っているのです。
約1か月半の意地をかけた戦いが始まりました。
チャレンジ受験に過去問はないので、ひたすら応用問題を解き、様々な学校の過去問を解きまくります。
またまた過去問用紙が積み上がります。プリンターのインクもカスカスです。酸素が薄いような錯覚を感じながら、時間が走馬灯のように過ぎ、その中で苦しみながらも耐え抜く気力を見ました。
3月下旬、最後の入試に臨みました。
結果は、チャレンジ成功。当初からの第1希望の類コースに合格しました。
この結果発表で息子は、初めて飛び上って喜びを爆発させました。
いつからか我が家のトイレに貼っている格言があります。
「人間万事塞翁が馬」
人の運命は予測も出来ないことばかりであるから、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからない。安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。
ええやん。
今は、思いっきり喜んでも!
息子、頑張った。おめでとう。
これからまだまだ続く人生の一幕だけど、いったん、お疲れ様。

中学校の制服を着て受験に臨む息子。
この制服姿を見るのも、最後になります。
